ニューヨークは今では人気の芸人さんですが、屋敷裕政さんは大学卒業後は制作会社のADをされていました。
大学卒業後、すぐにお笑い芸人を目指していたわけではないんですよ。
今回はニューヨークの屋敷裕政さんについて
- 制作会社のADをしていた理由は?
- ADから芸人を目指した理由は?
といった疑問をまとめてみました。
ニューヨーク屋敷は制作会社の元ADだった?
ニューヨークの屋敷裕政さんは、東京都港区と大阪府大阪市に本社を置くIVSテレビ制作株式会社でADをされていました。
- IVSは、International Vision Systemの略です。
- テレビ番組の制作プロダクションです。
屋敷裕政さんは、京都府京都市にある同志社大学文学部社会学科を卒業後、1年ほどIVSテレビ制作に勤務していました。
屋敷裕政さんがADとして関わった番組は、
- 「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)
- 「ネプリーグ」(フジテレビ)
です。
AD時代は大変だったようでこんなエピソードがあります。
AD時代のエピソード
「ザ!鉄腕!DASH!!」では、象が入れるプールを仕込むために関東近郊のホテル、プールに電話をして象が入れるプールを探し回ったそうです。
象が入れるプールがあったとしても貸出側からOKをもらうのは大変ですよね。
また、ロケの5日前から家に帰れず、睡眠時間もほぼ無かった日もあったそうです。
ニューヨーク屋敷がADから芸人を目指した理由は?
ニューヨークの屋敷裕政さんが大学を卒業後、芸人を目指さずADになったのか見て行きましょう!
屋敷裕政さんがADになったのは、芸人になるための準備かと思ったらそういう訳でありませんでした。
こんなインタビューを発見しました。
――大学卒業後、番組制作のADを1年されたんですよね。テレビ業界を目指したのは、芸人になる準備みたいな気持ちも多少はあったのですか?
屋敷:いやいや、まったくないです。大学まで行かせてもらったのに、博打のような人生は歩めないと思っていましたから。就職活動をするなかで、一番興味があったのがテレビ・バラエティの世界だったというだけです。
引用元:- まいにちdoda - はたらくヒントをお届け
屋敷裕政さんはそもそも芸人は目指してはおらず、大学卒業後は興味のあった「テレビ・バラエティの世界」に進んだそうです。
――そんな日々のなか、いつ頃から芸人になりたいと思うようになったんですか?
屋敷:順調に働いて出世した未来を想像したときに、なんかテンションが上がらなかったんです。ということは、一番やりたいことではないんだなと思って。じゃあ一番やりたいことはなんだろう? と考えたら芸人だったんです。
引用元:- まいにちdoda - はたらくヒントをお届け
順調に仕事をこなし将来を考えた屋敷裕政さんはテンションが上がらなかったと答えています。
一番やりたいことは?と考えた所、「芸人」だったそうです。
また、こんなこともあったそうです。
――背中を押すような、大きな出来事があったのですか?
屋敷:当時、仕事の空き時間に個室ビデオに行くのが楽しみだったんです。ある日、個室ビデオでAVを観た後に、M-1グランプリの舞台裏を集めたDisc2を観ていて。そうしたら急に涙が溢れてきちゃって。「あかん、俺はこっち側に行きたい!」と思ったんです。
引用元:- まいにちdoda - はたらくヒントをお届け
M-1グランプリのDVDを観たことがきっかけで「芸人」の道に進むことを決めたそうです。
その後、NSC東京校15期(2009年)の同期となった嶋佐和也さんを誘ってニューヨークが結成されました。
ニューヨークとしての活動開始月は2010年1月~です。
- 屋敷裕政さんが当時23歳
- 相方の嶋佐和也さんが当時23歳
の時から活動が始まりました。
以上、ニューヨーク屋敷は制作会社の元AD?芸人を目指した理由は何?についてでした。
これからの活躍を応援しています。